私は広島県の県北部の兼業農家に1月の猛吹雪の明け方近くに、ロウソクの灯の中で次男として誕生しました。生まれた時はおでこが無いほど、髪の毛がふさふさしていたそうで母親も少し心配したみたいです。
冬は雪が深く毎日のように近所の山で、友達とスキーをして手や足がかじかんで痛くて我慢できないぐらいまで遊んでいました。井までも雪が降ると、雪の多い年に屋根の雪下ろしをしたことや、雪が降った翌朝に、木に積もった雪がまるで桜が満開になったような素晴らしい景色が思い出され心が和みます。
子供の頃父も母も仕事と農作業に追われ、家族で揃って出かける余裕など全くなく、それが当たり前と思っていましたが、楽しみと言えば、秋の収穫が終わった頃の秋祭りに、親戚に祖父や父と泊まりで遊びに行き夜を徹しての神楽を見に行ったのを思い出します。
また、父や祖父に兄弟喧嘩や間違った事をした時など、夜昼無く土蔵に閉じこめられたり、家の中で和牛を飼っていたため牛のそばに縛られ、怖さのあまり泣き明かし涙もかれた頃解放され、父や祖父に謝りに行ったことを思い出します。
非常に厳しい父と祖父でしたが、厳しい反面優しく出張のお土産に当時としては珍しく贅沢な皮のグローブと木製バットとボールを買ってくれました。この道具は友達と田んぼでベースボールをしたりほんとに長く使ったと思います。
子供の頃は、アレルギー体質のため、今では想像も出来ないくらいひ弱で顔中がただれ、小学校時代は殆ど毎日のように病院に通っていましたが、中学の時体を鍛えれば治ると家で腕立て伏せと腹筋を続け、学校では陸上と野球をし、年中黒い顔でしたが、お陰で高校に入学した頃には見違えるほど健康になりました。
高校生活の3年間は寮生活を送り何事もなく卒業予定でしたが、卒業前に喫煙で家庭謹慎と卒業延期になり、皆勤賞が駄目になり余分に1ヶ月間図書館で「人間の条件」という本を読み、その後職員室で父親と先生の中でたった一人の卒業式になりました。先生の話を聞いている時、赤々と燃えているストーブでお尻が熱くて我慢できないくらいで、話の内容よりストーブの熱さが印象的であまり先生の話は記憶に残っていませんが、別れ際に担任の先生が話してくれた最後の最後まで気を緩めるなと言う意味の中国のことわざが印象に残り、ことある事に思い出され困難に直面した時等まだまだやり残している油断するなと自分に言い聞かせています。先日30年ぶりに同窓会に参加し先生方に会い、懐かし良い思い出として、一人きりの卒業式の話をすることも出来、「感謝しています。」と笑いながら歓談することも出来ました。でも、当時一番悲しんだのはお袋かも知れません。
高校も何とか遅ればせながら卒業でき、大学に進学できましたが、余裕のある家庭ではないので、休みは殆ど叔父貴の会社で、土木のバイトと親の仕送りでギリギリの生活でした。
今、大学の子供を持ってみてどれだけ両親が大変だったか身にしみます。卒業前の設計と論文も、何日も徹夜して提出し、何とか卒業でき岐阜の建築会社に就職できたので、両親も少しは安心したかと思いますが、同時に内心は出来が悪いので心配したと思います。
当時は認識の低いツーバイフォー工法の住宅事業部に配属になり、設計、積算、施工に携わりました。
25歳の時、両親は何の資格もなく、若いし給料も低いので、生活できないのでと反対しましたが結婚しました。
結婚当時、愛知県長久手の現場に大垣から通っていましたので、よる1時頃が普通で遅い時は明け方近くの5時頃に帰る日が続きましたので生まれたばかりの子供を風呂に入れてやることも出来ませんでした。
おかげさまで、会社に在籍した13年間の間に、建築に関する設計、積算、施工と技術職では普通は経験することのない営業と営業の管理の基礎を経験させて頂きました。今思えばこの経験が非常に役に立っていると思います。
このころ豊明の会社に来ないかと熱心な誘いを受け悩みましたが、マンネリ化した生活を変えたいのと、井の中の蛙ではないかとの思いが強く、もう少し違った経験と別な会社の経験をしてみたいと思い会社を変わることを決断しました。
後に両親に報告した時は叱られましたが、くれぐれもお金で動くようなことはするなと父親に言われていましたので、この時も肝に銘じて行動しました。
豊明に来てからは、良いことも悪いことも含め本当に色々経験させて頂きましたが、アメリカに2度も行かせて頂き現地の住宅を見学し日本との生活スタイル考え方の違いを知り、非常に勉強になりました。この経験が今の仕事に役立っているのは話すまでもありません。
また、この時期に成り行きで受験していました1級建築士の試験と生まれついての金槌を克服するために、妻の一言で資格学校とスイミングスクールに通い、何十年かぶりに机に向かい今までになく勉強に集中し、試験に合格することと一応泳げるようになりました。
余談ですが、スイミングスクールに行くことは、正直恥ずかしく最初に参加するのにはかなり躊躇しましたが、結構同じ年齢の人が参加して見えたので安心し参加することが出来ましたが、残念なことになりを潜めていましたアレルギーが鼻炎として再発してしまい、今も花粉とハウスダストに悩まされています。
しかし、この機会と動機付けしてくれた妻に感謝しています。建築士試験に合格の連絡を母親に報告すると、もう取得できないかと思っていたと言いながら喜んでくれました。また、資格もないのにと結婚を反対していた私の母が、妻に「ありがとう」と電話で言ってくれたことがとてもうれしかったと後で妻に聞きました。
色々な経験を皆様のおかげでさせて頂き、2年前に独立し自宅で設計事務所を開く事ができました。色々な方に声を掛けて頂き、今日仕事が出来ることに感謝しています。
今までの経験を生かし、お客様の期待を上回るご提案をしたいと思います。
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