プロフィール

安城建築  浅井宏充 プロフィール


昭和42年 浅井家15代目長男・安城建築3代目として愛知県安城市日の出町に生まれる
昭和60年 2×4住宅の(有)稲元住宅入社
昭和61年 米国シアトルカナダバンクーバーの住宅と住宅産業関連会社視察
平成4年 安城建築入社
平成7年 HICPM(住宅生産性研究会)のメンバーとなる
平成8年 NAHB(全米ホームビルダー協会)会員となる
日米協同プロジェクト北米式住宅ショーハウス建設管理監督業務に就く
矢野経済研究所の依頼で、「アメリカ直輸入住宅の施工現場の実態」の講師を勤める
平成9年 (株)ドライウォールジャパン(北米式内装仕上げ)を設立し、社長に就任(日本においてのドライウォール第一任者となる)
平成10年 米国コーネル大学「アメリカの住宅産業とコンストラクションマネージメント」短期セミナーに日本人として初参加
平成11年 名古屋木工機械展「サスティナブルハウス99」にてドライウォール工法の講師及び、サスティナブルハウスモデル棟の施工を担当
平成12年 安城建築70周年「和洋折衷明治建築の再現プロジェクト」建設管理監督業に就く(明治村建築部長西尾氏に称賛される)
賢い奥様のためのこだわり家づくり読本「家づくりで成功する人しない人・これだけは知ってほしい家づくりの真実」を発刊
現場監督のかたわら、折衷建築を求め全国を神出鬼没、また住宅アドバイザーとして、“本音トーク”で家づくりのアドバイス、指導を実施
平成14年 国土交通省住宅産業構造改革「サスティナブルコミュニティ開発管理システム研究会メンバーに戸谷英世氏より推薦される。
平成15年 全国の中小企業の実例報告エントリーにて1500社中のグランプリ受賞。各新聞社、著書に紹介され全国各地より会社訪問される。
平成16年 中小企業大学校瀬戸校「中小企業支援協力機関職員研修にて事例研究発表講師を務める。
平成20年 合資会社安城建築の代表社員となり、日本における「北米輸入住宅の基準づくり」に取り組んでいる。

西洋住宅に憧れて
冊子「職人さんありがとう」より抜粋

私は大阪万博の少し前、浅井家15代目として安城で生まれました。小さい頃から両親は家業が忙しく家族で何処かに出かけた記憶はほとんどありません。小さな頃のささやかな想いでは、ひいお婆さんの乳母車で近くの公園までの散歩です。散歩の途中、三徳屋と言う駄菓子屋で三角ういろを買ってもらい公園のベンチで二人で食べました。幼稚園の年少組の時そんな大好きなお婆ちゃんが亡くなり初めて死とはどうゆうものなのかを身を持って体験しました。何でこんな事まで憶えているのか分かりませんが、お婆さんが亡くなってうろたえ動揺する家族、ベットの位置、あの日の出来事は今でも鮮明に憶えています。恐らく今までいつも一緒に遊んでくれた人が居なくなった出来事は想像以上に辛かったのでしょう。しかしこのお婆さんに愛情を一杯もらったおかげで今に至る私の人生の挫折時、分岐点では常に相談にのってもらい、いい方向に導いてくれていたと強く感じます。そんなこともあって子供達の名前もお婆さんの名前をもらい俊慧(としちえ)、政慧(まさちえ)としました。幼い頃の私は幼稚園が嫌いで、迎えのバスに家族が必死に乗せようと試みるのですがそれをすり抜けてバスを降り逃げまどっていたそうです。未だに事ある事にこの出来事を親に言われます。生まれて初めて好きな子が出来たのも幼稚園の年長で名前は伊藤美保ちゃん。何故かいつも意識していた想いでがあります。小学低学年時代はハーモニカが全然吹けなく相当嫌な思いをしました。不得意な事を無理矢理、しかも嫌々人前でさせられる事程、無意味で子供のやる気を失墜させる事はないと思います。そしてこの時から学校嫌いに拍車が掛かり始めた様な気がします。

「泳げ!たいやきくん」が一世を風靡した頃「♪毎日毎日僕らは鉄板の 上で焼かれて 嫌になっちゃうよ・・・♪」、(私もレコードを親に買ってもらった記憶が、かすかにあります。)私が小学校2〜3年生の頃でした。自宅から2〜4キロ程の所に、大池という池がありまして。友達と多分、自転車探検(友達同士で知らないところに行く自転車探検に、私とその友達は一時ハマっていました)にでも行ったかと思うのですが、その帰り道安城農林高校の北東に位置する場所だったと思うのですが、既に使われていない古い西洋建築の公民館か役場の様な建物を発見しました。その建物を見てとても形容しがたい懐かしいような、不思議な気分に浸ったような気がします。解体寸前の古くてボロボロの建物でしたが、凛としてすがすがしく子供の私には新鮮でとてもかっこ良かった。

小学校の頃に見たあの古い西洋館を見てから6〜7年後、中学校1年の社会見学で明治村を初めて見学しました。正面玄関を潜り、左手方向に行くとまず、三重県庁舎がありまして、一目見てその美しさに感動し、小学校の頃に見たあの建物を発見した時の事がふと思い出され、あの時と同じ懐かしい気持ちになりました。外壁は洋風でありながら屋根は和瓦であり普通に考えれば完全にチンドン屋のはずが和洋が完璧なほどマッチしているのです。完全に一目惚れ。中学生だった私には建物の価値など全く解らなかったし、何故これほどまでに折衷建築にひかれるのかも当時の私には分かりませんでした。

就職の際、家業の建築を選択するのか、どうしようかといろいろ考えたあげく建築を選んだわけですが、私の父親に「どこかいいところがあったら紹介して欲しい」と頼んだところ、一言「お前みたいな出来の悪い奴紹介できるわけないだろう」で、終わり。仕方なく就職情報などを見て探し当てたのが稲本住宅という従業員10人ほどの小さな会社でした。2×4なんてほとんどの人が知らなかった時代でしたが、稲本住宅では、その2×4をメインに手がけている会社で、そこで私は明けても暮れても材料運びとゴミ片付けの日々を送っていました。そんな私も研修でアメリカ・カナダの住宅視察に連れて行ってもらいました。その当時、地域の工務店が住宅の視察で海外なんて大変珍しかったんです。アメリカ・カナダの住宅、町並みは本当に美しかった。アメリカの町並みというと日本人の多くはハワイ旅行の石原裕次郎の家を想像されるかもしれませんが、それはアメリカ本土の住宅とはだいぶ違います。日本に帰ってからのギャップは大きかったですね。研修から帰りいつも思ったのは日本の町並みはどうしてぐちゃぐちゃになってしまったのだろうかといつも考えていました。しかし一週間の視察ではその答えは分かりませんでした。輸入住宅ブームが到来する8年前の事でした。

安城建築に入社して数年間いつも頭の片隅にはアメリカ・カナダの住宅の事がありました。どうしたらあの様なデザインが出来るだろう?あの様なデザインで日本サイズの設計が出来る設計士はいるのだろうか?多くの建築関係者達は「アメリカは土地が広いから大きな家が出来る。家のサイズに制限が無ければ日本でも同じデザインが出来る。」と言いましたがそれはウソだということは後に分かりました。またその頃JETORO輸入住宅の展示場が首都圏でオープンし始めたのですが、これが私が北米で見てきた物とは全く別物で、心の中で「あれは輸入住宅ではない、あれは輸入住宅ではない・・・」といつも思っていました。

輸入住宅が到来する1年ほど前の事だと思いますが日経新聞の中に輸入住宅に関する記事がありまして、その中の1社のモデルハウスの写真を見た瞬間「これだっ!」と思ったのです。小さいながら、1階の屋根から2階の大屋根まで一体感がありデザインはどこかしら懐かしさを感じるアメリカ・カナダで見た建物の完全なスケールダウンされたもの。一目惚れでした。早速オーナーの方にお会いし、話を聞いた処、「設計は日本人ではありません。アメリカ人です。」と、やっぱり!そのモデルハウスを見学させて頂いたのですが外観だけでなく内部までも北米のオープンプランニングを取り入れ、家族のコミュニケーションを本当によく考えてつくられていて、見ていてワクワクしていた事をおぼえています。初対面にもかかわらず3時間くらいぶっ続けで日米の住宅の話に花が咲き、最後にオーナーに「私の娘と娘ムコがこのモデルハウスを設計した先生のところでお世話になっているので、来週にでもアメリカに行ってみてください」と言われ、直ぐにアメリカへ旅立つことになったのです。

アメリカから帰国し、早速社長(現会長)に「安城建築の輸入住宅モデルハウス」の話を持ちかけました。しかし当初は「安城なんかで輸入住宅なんか建てたところで喫茶店かレストランに間違われるだけでこんな田舎ではダメだ」と、ほとんど私の言っていることに対して聞く耳は無いという感じでしたが、来る日も来る日もクドクド話をしているうちに社長の方が根負けしましてなんとかモデルハウス着工にこぎつけることができました。明治時代に日本諸外国から西洋建築を学んだ日本の職人達のように謙虚な気持ちでプロジェクトがスタートしたのです。

私は時折自分の人生が思い通りになりすぎて怖くなる事があります。いつも目標を持ち続けていました。カナダで見た本物の輸入住宅をつくりたい。小さい頃見て胸ときめかした明治建築を再現したい。小学生の頃、友達の畑の木にあったツリーハウスに登った時のワクワクした気持ちをみんなに伝えたい。全て思いは叶いました。そして次なる目標として安城建築を只単に消費者に家を提供する会社では無く、安建ファミリーの方、これから安建ファミリーになろうとされている方に対して家族のあり方、子育て、教育、心の癒し、感動を共感を提供します。そしてお客さん同士でいつの間にかコミニティが生まれてる(一部のお客さん既にそうなっておりますが)そんな会社になります。

安建ファミリーの皆様へ
家を建ててからでも何度も足を運んで下さるファミリーの方、感謝の言葉が見つかりません。いつも春日井から不慣れな高速道路を軽自動車にてお一人で来られる奥様がみえます。その姿に私達は感動しています。そして、ファミリーの皆様が当社のミッションである家族の絆を強くする家づくりに共感し、支持してくださる事に心より感謝します。
メンター師匠の先生方へ
私は30を過ぎて初めて多くのメンターに続々と出逢いました。学生時代、大の勉強嫌いだった私ですが、生まれて初めて学ぶことがこんなに楽しいことだと気づきました。そして、何よりただ儲けることだけで無く「人としての豊かさ」を学ばせて頂いています。心より感謝しています。
おじいさんへ
創業当時資金調達に大変苦労したと言う話を母親から聞きました。担保が無く安城中の銀行がなかなかお金を貸してくれず、最後ある方がおじいさんの仕事でごわごわになった手を見て、その方は「この手を信じてお貸しします」とお金を貸してくれ、その時の恩は一生忘れないと聞きました。無からの立ち上げは非常に困難を極めたと思います。誰もが創業者であるおじいさんが一番苦労し偉いと思っております。今こうして私が夢にチャレンジ出来る基盤を与えてくれた事に大変感謝しています。
会長へ
もし自分の子供が私と同じ明治建築をつくりたいと言い出したなら、間違いなく阻止する事でしょう。こんなものをつくりたいと言って本当につくらせてしまう事が今でも不思議に思えてなりません。大変感謝しています。
母へ
短気な私にいつも3つ数えてから言葉に出しなさいと口癖の様に話しますが、私も一応自覚しています。出来るだけ気を付けます。
俊慧へ
この冊子の表紙を書いてくれてありがとう。みんな上手だって褒めていましたよ。おかげで素晴らしい冊子が出来上がりました。
政慧へ
作業服のシャツがズボンから出ていると「ちゃんとシャツ入れなきゃ駄目でしょ!」と世話をやいてくれてありがとう。
妻へ
事務所で見せてくれる笑顔は僕の生きて行く励みになります。これからも素敵な笑顔を僕に下さい。そしていつも子供達と日々格闘してくれて心よりありがとう。これからも二人三脚で頑張ろうね。

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