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西川 正亜

四国の愛媛県から何故か安城へ…。激動の半生

 私は闘牛と真珠で有名な四国の愛媛県宇和島市で生まれ、男3兄弟の真ん中として、海と山に囲まれた地でワンパクに育ちました。

 父親が塾を開いていたこともあり、毎日勉強勉強と言われたことを覚えています。その成果自分で言うのも何ですが勉強もよくでき、また、運動面でも学校で1,2を争う程度で学級委員をよくやりました。しかしそんな父も私が小学4年の時に体調を崩し入院。2年後に亡くなりました。

 家計が元々苦しく、父の死後、家賃の安いアパートに移ること2回、転校を余儀なくされ、また、身の回りの物は自分で稼がなくてはならず、親戚の新聞配達、テキ屋の手伝いをしました。給食費が払えず子供ながらにいやな思いもしました。

 そんなことがあってか、学校によく遅刻し、家には転校することで増えた仲間が集まり、好きなバイクを乗り回し、あげくには警察が家の回りにウロウロする始末。16歳でバイクの免許が取れ、4月産まれの私は回りの誰よりも早く公にバイクに乗れ嬉しかった物です。今思えば「悪」だったと思います。

 高校受験は興味がなかった物の、先生から「絶対おまえは落ちる」と言われ、その反発心から地元高校を受け、何故か合格。しかし、高校へ行ってなんになると思い、地元で真珠屋、テキ屋、ハマチ養殖、トラックの助手を1年やった後、知人に手に職をつけないかと誘われ、友人と長距離トラックに揺らされていざ名古屋へ、と思いきや、田んぼの広がるここ安城市へ。そして水道設備業に携わることとなりました。

 まだまだ学ばなければならないことばかり、初心を忘れず、これからも自分が成長していけるよう頑張らないといけないと思っています。


妻より

 今思えば親に甘えて育ってきた私とは違い、若い頃から親元を離れ、一生懸命頑張っている主人に魅力を感じお付き合いが始まったような気がします。家に帰れば肉体労働にも関わらず娘の相手をよくしてくれて、私のつまらない今日の出来事を聞いてくれいつも感謝しています。